低線量放射線の発がん作用
−しきい値なし直線仮説の位置づけ−

 

パリ大学ベクレル研究センター所長
Maurice Tubiana

発がんに必要な最低線量は?

 国際的に発がん効果が認められていない線量とは、どのくらいでしょうか?ウオーレントン会議では100mSvと合意がされました。しかし、部位別のがんをみますと、70-100mSVの線量で、女性乳児や幼児では甲状腺がんの増加が報告されていますし、胎児では約30mSvの線量で照射後発がんが見られたとの報告もあります。一方で、100mSv程度の線量では小児においても腫瘍の発生は見られないようであり、成人では、発がんおよび白血病の誘発は、高線量率で200mSv以下、低線量率で100mSv以下では報告がありません。したがって、この100mSvにはまだまだ議論の余地は残っています。人の幾つかの組織で、発がん効果が認められている線量の下限は約1Svとなっています。

しきい値なし直線(LNT)モデルの有効性

 このモデルの基本的な仮定では、1つのDNA損傷により細胞ががんになる確率は、同じ細胞または周辺の細胞に発生した他の損傷の数に関わらず一定と見なしています。したがって、この仮定では、放射線量と細胞ががんになる割合は、比例するということになります。しかし、この仮定は多くの実験データと一致していません。そこで、他の損傷の影響を、細胞ががん化していく次の各段階で調べることが必要となります。

    1. DNA、染色体損傷の修復、修復誤りの確率
    2. 細胞増殖が発がん促進に及ぼす効果
    3. 周辺細胞が悪性化細胞に及ぼす抑制効果
    4. 細胞に対し放射線が及ぼすストレス効果
放射線による生物効果は、DNA損傷だけではないことが示されています。ストレス応答などの仕組みが、例えば細胞分裂の度に新しい遺伝子異常を生じる遺伝的不安定性の誘導などに重要な役割を果たしています。この場合、放射線の標的は、細胞の遺伝子集合体や細胞核よりも大きく、さらに細胞よりも大きいこともあるでしょう。
  1. 長期に及ぶ刺激や炎症および組織構築の秩序の破壊

    これらは、多くのがんで重要な役割を示しています。人のがんでは、喫煙や太陽紫外線により引き起こされるがんで立証されています。

 発がんというものは、少なくとも約10個の遺伝子が関与する複雑な現象であるということを基礎的実験データが裏付けています。これは、1個の遺伝子の損傷が発がんへの道のりを開始するのに十分というモデルでは、発がんを説明することはできません。

 LNTモデルは、原爆被爆者の疫学研究によって支持されています。つまり、固形腫瘍の線量効果関係がLNTモデルと良く合うということです。しかし、良く合っているということが、妥当性や正当性を意味してるわけではありません。これは、原爆被爆者の白血病、放射性核種により誘発される骨肉腫や肝腫瘍、放射性ヨウ素を用いて治療を受けた患者の白血病、さらに高自然放射線地域でがんが増加しないことなど、LNTモデルとは相容れない疫学データが多いことからも明らかです。

 LNTモデルは、放射線防護の目的で用いられ、放射線被ばくを管理するというためには便利な方法ですが、その科学的な基盤は極めて弱いと言えます。年当たり10〜100mSvの線量の範囲では、LNTモデルに基づいた直線的な外挿はリスクの上限値を示していると考えられますが、年当たり1〜10mSvの線量の範囲(自然バックグラウンド線量の範囲)では、直線的な外挿には細心の注意を払わなければなりません。このように計算されたリスクは、より高い線量で計算されたリスクとは別に扱うことが必要です。年当たり1mSv(または0.3mSv)以下の線量は、リスク評価の対象とするべきではないでしょう。


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