放射線防護の概念の変遷

 今から約100年前、1895年ドイツのヴュルツブルグ大学でレントゲン博士によりX線が発見されました。当時この発見は驚きをもって受け入れられ、すぐに医療利用等に応用されました。しかし、翌年にはX線による脱毛、皮膚の発赤、腫脹、水泡形成などが報告されています。放射線は諸刃の剣とよくいわれますが、このように放射線利用の歴史とともに放射線障害の歴史がはじまりました。そして、その放射線障害をどのように防ぐかという放射線防護の歴史もほぼ同時にはじまりました。

 

レントゲン夫人の手と指輪(左)とレントゲン(右)
出典:(財)日本原子力文化振興財団「放射線のはなし」(1998)

 

 1902年になると、米国のロリンズが写真乾板を7分間照射しても露光しない程度のX線量は有害でないとして、これを紅斑(皮膚が赤くなること)などの皮膚障害のでない限界線量として公表しました。これは現在の単位に換算すると約0.1Gy/日に相当します。このように、この時代に着目していたのは急性の皮膚障害でした。しかし、その後もX線による皮膚がん、白血病等が報告されました。1925年になると米国のムッチェラーが「紅斑線量」(約6Gy)の1/100を1ヶ月当りの目安とした耐容線量を指標として使うことを提案しています。  

 1950年代に入ると、人体の中で放射線に対して感受性が高くより重要な臓器・組織に着目して防護を行うとする「決定臓器」の考え方が取り入れられました。決定臓器として、造血臓器(骨髄)、生殖腺、皮膚、眼の水晶体があげられています。生殖腺は遺伝的影響を考慮してのものです。「耐容」という考え方から一歩進み、何らかのリスクがあっても受け入れられない程ではないという意味合いの「許容線量」という考え方が用いられるようになりました。

 1950年代終わりから1960年代になって、白血病をはじめとする発がん、遺伝的影響など集団に起こる晩発影響を防止するため、被ばく線量は「実用可能な限り低く(ALAP)」あるいは「容易に達成できる限り低く」保つべきであるとされました。

 ICRPは、1977年に刊行したPublication 26において、放射線防護の基本的考え方を体系化してまとめました。重要な点は、放射線影響の「確率的影響」と「非確率的影響」の分類です。「確率的影響」は、白血病を含むがんと遺伝的影響であり、その発生率は被ばく線量に比例し、どんなに低い線量でも線量に応じた発生確率があるとするものです。一方、「非確率的影響」は、それ以下であれば障害は発生しないという「しきい線量」がある影響で、がんと遺伝的影響以外の影響が該当します。つまり、放射線による急性影響、晩発影響を放射線防護の目的のために分類し直したわけです。

 放射線防護の目標として、1)被ばく線量をしきい線量以下に抑えることにより非確率的影響の発生を「防止」し、2)確率的影響については発生を容認できるレベルに「制限」することを掲げました。容認できるレベルについては、先に述べた「容易に達成できる限り低く」をさらに深め、「経済的および社会的な要因を考慮に入れつつ合理的に達成できる限り低く(ALARA)」と考えられるようになりました。

 さらに、放射線の利用について、上記の放射線防護の目的を達成するために、線量制限体系が勧告されました。それは、1)行為の正当化、2)防護の最適化、3)線量制限(あるいは線量限度)の3項目からなります。「行為の正当化」は、放射線を利用するにあたり、あらかじめ正味の利益があることを確認することをいいます。上述のとおり、放射線には諸刃の剣といった側面がありますので、利用する利益と損害を比べて利益のほうが大きい時にしか放射線は使用しないとするものです。「防護の最適化」はALARAの考え方であり、利用にあたり被ばく線量を合理的なレベルまで低く抑えるとするものです。この「最適化」の概念は放射線防護においてとても大切な概念です。「線量限度」は文字通りにそれを超えてはならない被ばく線量の値を示しますが、常にそこまで受けても良いことをいっているのではありません。つまり、最適化の結果、合理的なレベルが線量限度よりも低ければ、そのレベルに抑えて放射線を利用することとなります。逆に、もし最適化の結果で線量限度よりも大きいレベルが示された場合には、線量限度以下となるように、さらなる防護手段を講じて放射線を利用することとなります。

 1990年にICRP Publication 60として基本勧告の改訂が行われました(現在の最新のものです)。Publication 26において放射線防護の基本的枠組みは確立されており、Publication 60では放射線防護の概念のさらなる拡張と整理がなされています。Publication 26では放射線を「利用する」状況についてもっぱら考えていましたが、Publication 60では、「行為」と「介入」をはっきりと定義づけました。「行為」とは、放射線を利用することによって人の被ばくが増加する活動といい、「介入」とは、放射線被ばくを下げることとなる活動をいいます。また、従来は線源の管理、線源が制御できるか否かに注目していましたが、被ばくが制御できるか否かという点にも目が向けられるようになりました。これらのことから、行為について組み立てられていた線量制限体系を「放射線防護体系」と改め、行為にも介入にも適用できるように幅広い概念としました。

 従来は放射線を利用する状況において、業務上放射線を扱う人の防護に重点が置かれてきましたが、Publication82などに見られるように、一般公衆の様々な被ばく状況下での放射線防護に重点が移ってきた観があります。


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