2.オークリッジY-12プラント臨界事故関係者の例

 1958年6月16日、オークリッジのY-12プラントという工場で、作業者がタンクの水を抜き、ドラム缶に移したところ臨界事故になり、8名が被ばくをしました。本来水しか入らないはずのタンクに、バルブの操作ミスで濃縮ウラン溶液が入っていたためでした。作業者のうち5名は大量の被ばく(2.36 . 3.65グレイ)を受けましたが、残り3名は比較的軽微な被ばくでした(0.7グレイ以下)。

 この事故による高被ばく者5名は直ちに病院に収容されましたが、いずれも、吐き気、嘔吐、疲労感などの典型的な急性放射線症の症状を示しました。5名とも白血球の顕著な減少や脱毛が見られましたが、30日目を過ぎた頃から自然回復に向かい、44日目に退院をしました。退院後は全員がもとの職場への復帰を希望し、事故から4ケ月以内に皆がY-12プラントに戻りましたが、放射線作業からは離れることになりました。被ばくが比較的少なかった3名も、入院はしましたが、ほとんど目立った症状はあらわれず、9日目に退院しました。

 この事故で被ばくをした8名についても、その後健康状態の追跡調査が行われています。事故から30年後の1988年に発表された調査結果の概要を表2に示しましたが、この時点では4名が死亡しています。



表2 1958年のオークリッジ臨界事故の関係者

作業者
事故時年齢
被ばく量
グレイ
入院
32年後(1978年)の調査結果
H
40
3.65
44日
1982年に退職。70歳で健康
I
32
2.70
44日
62歳で現役。高血圧と糖尿があるが健康
J
39
3.39
44日
1973年に肺ガンで死亡(54歳)
K
50
3.27
44日
老化による諸症状で1987年に死亡(80歳)
L
35
2.36
44日
1985年に退職。65歳で壮健
M
41
0.69
9日
1985年に肺ガンで死亡(70歳)
N
56
0.69
9日
1976年に脳卒中で死亡(74歳)
O
25
0.23
9日
55歳で健康、現役勤務中

 


オークリッジ臨界事故の現場再現写真

 

 39歳で被ばくしたJさんは、1960年代後半に結核にかかり一旦治癒したものの、その後肺ガンになり、1973年に54歳で死亡しました。Jさんは、14歳から12年間、地下の炭鉱の粉塵の中で働いており、またヘビー・スモーカーであったことから、肺ガンはその影響と考えられています。

 50歳で被ばくしたKさんは1972年までY-12プラントに勤務し、64歳で退職しました。晩年、関節炎や、前立腺肥大症、動脈硬化など、老化に伴う諸症状に見舞われ、1987年80歳で亡くなりました。

 41歳で 被ばくしたMさんは1976年まで勤務していましたが、慢性肺疾患にかかり、その後症状は悪化して肺ガンに発展し、1987年に70歳で死去ました。Mさんは、アスベストを取り扱う仕事をしていたことがあり、また喫煙家でもあったことから、肺ガンはそれらの影響と考えられています。

 56歳で 被ばくしたNさんは、1960年に60歳で退職し、その後も元気でしたが高血圧気味で、1976年に脳卒中を起こし74歳で死亡しました。

 そのほかの4名は、1988年時点ではいずも健在で、それぞれの年相応の健康状態を保っており、IさんとOさんはまだ現役で仕事を続けています。1982年に64歳で退職したHさんの場合、在職中に悩まされていた喘息がその後は出なくなったことが伝えられています。Lさんにいたっては、1985年に62歳で退職しましたが、その後は週に何回もゴルフを楽しむなど、極めて活動的な生活を送っていることが伝えられています。

    

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